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中国史

解元

解元は字善長といい、保安軍徳清砦の人である。眉目秀麗の美丈夫にして猿臂、騎射を善くす。行伍より身を立て、清澗都虞候となった。建炎三年、大将・韓世忠の麾下に隷し、擢されて偏将。韓世忠は下邳から出て、金兵の大挙押し寄せるとの報せを聞くと士兵みな...
中国史

張憲

張憲は岳飛の愛将なり。岳飛が曹成を破るに当たって、張憲と徐慶、王貴がその党二万を招降した。郝政なるもの有り、衆を将いて沅州に走り、首に白布を被って曹成の復讐を為さんとし、號して「白巾賊」。張憲一鼓してこれを擒う。 岳飛がまた張憲を随州に遣わ...
中国史

楊再興

楊再興(よう・さいこう。?-一一四〇) 楊再興は賊曹成の将なり。紹興二年、岳飛が曹成を破り、莫邪関に入る。第五将韓順夫が鞍を外し甲を脱ぎ、虜の婦人に酒を饗さす。再興は衆を将いて直ちにその営に入り、官軍を退け、順夫を殺し、また岳飛の弟岳翻を殺...
中国史

牛皐

牛皐(ぎゅう・こう。一〇八七-一一四七) 牛皐、字は伯遠、汝州魯山の人なり。はじめ射士となり、金人侵入すると牛皐は衆を聚めてこれと戦い、しばしば捷ち、西道総管翟興に表されて保義郎。杜充が東京留守となると、牛皐は賊楊進を魯山に討ち、三戦して三...
ビザンツ

ヘラクリウス帝(要約訳文)

☆出典情報☆原著:Byzantium the Imperial Centuries A. D. 610-1071/Romilly Jenkins1966☆免責事項☆本翻訳は、原著者Romilly Jenkins氏の論文を日本語に翻訳、要約し...
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名将録縮小のお知らせ

おはようございます。先日までここに投稿していました「世界名将録」ですが、もしかすると著作権的に問題があるのでは? ということが頭をよぎり、実際翻訳もととなった本の出版年度を調べると特に西洋の人物評伝においてほとんどが著作権に抵触しておりまし...
中国史

岳飛

岳飛は字を鵬挙といい、相州湯陰の人である。代々豪農で、父岳和は能く節食して民を飢餓から救った。農地を侵されてもこれを分かちあい、財を貪られても償いを求めることがなかった。岳飛が誕生した時、鵬があって室上に嘶きいたので、これに因って名としたと...
中国史

霍去病

霍去病は大将軍・衛青の姉・衛少児の子である。その父・霍仲孺は先だってより霍少児と私通しており、それで生まれたのが霍去病だった。衛皇后が尊貴に上るにおよび、衛少児も詹事・陳掌の妻となる。霍去病は衛皇后の姉の子として、十八歳で侍中とされた。騎射...
日本史

源義経

義経(一一五九―一一八九) 日本の将軍。主立った戦争は源平合戦。合戦中の戦役は一ノ谷、八島と壇ノ浦、一一八九年の衣川。 一一五九年、源義朝と常盤御前の間に生まれる。幼名は牛若。上に今若、乙若がおり、さらにその上に異母兄が二人ある。源平合戦の...
日本史

源義家

源義家(みなもとのよしいえ。一〇三九?-一一〇六) 清和源氏の諸流のうちで、のちに武門の棟梁として仰がれることになるのは源満仲の第三子・頼信を祖とする河内源氏である。この河内源氏に武家としての発展の基礎を築いたのは平忠常の乱で功を上げた源頼...