張憲

張憲は岳飛の愛将なり。岳飛が曹成を破るに当たって、張憲と徐慶、王貴がその党二万を招降した。郝政なるもの有り、衆を将いて沅州に走り、首に白布を被って曹成の復讐を為さんとし、號して「白巾賊」。張憲一鼓してこれを擒う。

 岳飛がまた張憲を随州に遣わすと、敵将王嵩戦わずして遁ぐ。兵を鄧州に進め、州城まで距離三十里、賊兵数万の迎戦に遇う。張憲と王萬、董先はおのおの騎兵を出して突撃し、賊衆大いに潰し、ついに鄧州を復す。

 十年、金人盟を破って入侵、張憲は潁昌、陳州に戦いみな大捷、その城を復す。ウジュは兵十二万を以て臨潁県に屯し、楊再興これと戦い、ここに死す。張憲継いで至り、その兵八千を破り潰す。ウジュは夜に乗じて遁ぐ。張憲の将徐慶、李山はまた臨潁東北に克って復し、その衆六千を破り、馬百匹を獲、奔るを追うこと十五里、中原大いに震う。

 たまたま秦檜が和を主張し、命ぜられて岳飛は班師し、張憲もまた還る。まもなく、秦檜と張俊は岳飛を殺すを謀り、ひそかに岳飛の部曲を誘い、よく岳飛の事を告げるものを以て寵し優賞するとしたが、応じる人卒無し。岳飛がかつて王貴を斬るを欲し、またこれを杖つと聞き、王貴を誘って岳飛を告発せしめんとするも、王貴肯んぜず、曰く「大将の為さるはむしろ賞罰を以て人を用うを免ず、いやしくも怨みを為すを以ても、その怨み将に勝てず」秦檜、張俊に屈する能わざれど、張俊王貴の私事をもっておどし、王貴懼れて従う。時にまた王俊なるもの有って、よくあばいて告げ、號して「鵰児」、姦貪をもってしばしば張憲の裁くところと為す。秦檜は人を使わしこれを諭して、王俊しきりに従う。

 秦檜、張俊の謀るはもって張憲、王貴、王俊みな岳飛の将、その徒を使って互いに攻発させ、因は岳飛父子におよぶも、主上は誓って疑わず。
張俊は自ら罪状を為して王俊に付け、妄言して張憲が還る岳飛の兵を謀ると。令して王貴に告げ、王貴に張憲を執えせしむ。張憲いまだ至らずして、張俊獄をもって待つを預かる。属吏王応求張俊に白して、密院に以て推勘(罪を調べる)の法無しと。張俊聴かず、親しく獄に行って罪を極め、張憲に自ら誣告せしめ、謂うを得て岳雲に書し、張憲に命じて兵を営に還さんと計る。張憲は全膚なきまで掠されるも、ついに伏さず。張俊は自らの手で具さに獄を成し(犯罪事実を確定し)、秦檜に告げ張憲にかせして行在に至り、大理寺に下す。

 秦檜は奏して岳飛父子を召し張憲の事をあかすべく問う。帝曰く「刑は乱を止めるの所以、妄りにあかしを追う勿れ、人心動揺す」秦檜は矯めて詔で岳飛父子を召すに至る。万俟离は岳飛を誣するに子鵬を遣わし、孫革は書を致して張憲、王貴、虚の警報を申し朝廷以て動くと令し、岳雲と張憲に書き記して岳飛の営に還れと。その書に有皆無、すなわち妄りに張憲、王貴これを焚くを已み、ただ衆をもってつぶさに獄をあかす。このくだりは岳飛傳に在る。張憲は坐して死し、家宝を召し上げられる。紹興三十二年、追復されて神龍衛四廟都指揮使、閬州観察使。寧遠軍承宣使を追贈され、その家を移す。

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