中国史

中国史

張憲

張憲は岳飛の愛将なり。岳飛が曹成を破るに当たって、張憲と徐慶、王貴がその党二万を招降した。郝政なるもの有り、衆を将いて沅州に走り、首に白布を被って曹成の復讐を為さんとし、號して「白巾賊」。張憲一鼓してこれを擒う。 岳飛がまた張憲を随州に遣わ...
中国史

楊再興

楊再興(よう・さいこう。?-一一四〇) 楊再興は賊曹成の将なり。紹興二年、岳飛が曹成を破り、莫邪関に入る。第五将韓順夫が鞍を外し甲を脱ぎ、虜の婦人に酒を饗さす。再興は衆を将いて直ちにその営に入り、官軍を退け、順夫を殺し、また岳飛の弟岳翻を殺...
中国史

牛皐

牛皐(ぎゅう・こう。一〇八七-一一四七) 牛皐、字は伯遠、汝州魯山の人なり。はじめ射士となり、金人侵入すると牛皐は衆を聚めてこれと戦い、しばしば捷ち、西道総管翟興に表されて保義郎。杜充が東京留守となると、牛皐は賊楊進を魯山に討ち、三戦して三...
中国史

岳飛

岳飛は字を鵬挙といい、相州湯陰の人である。代々豪農で、父岳和は能く節食して民を飢餓から救った。農地を侵されてもこれを分かちあい、財を貪られても償いを求めることがなかった。岳飛が誕生した時、鵬があって室上に嘶きいたので、これに因って名としたと...
中国史

霍去病

霍去病は大将軍・衛青の姉・衛少児の子である。その父・霍仲孺は先だってより霍少児と私通しており、それで生まれたのが霍去病だった。衛皇后が尊貴に上るにおよび、衛少児も詹事・陳掌の妻となる。霍去病は衛皇后の姉の子として、十八歳で侍中とされた。騎射...
中国史

李靖

李靖(り・せい。五七一-六四九)李靖、字は薬師、京兆三原の人。姿貌雄偉にして書史に通ず。かつて親しきに謂うところ「ますらおになるにはまさに功名を以て富貴を取るべし、なんぞ章句を作って儒者とならんや!」と。その伯父韓擒虎は李靖とことごとに兵を...
三國志

呂蒙

呂蒙(りょ・もう)呂蒙は字を子明と言い、汝南富陂の人である。家は貧しく若くして父を失った呂蒙は戦乱に会い、姉の夫鄧当に身を寄せる。鄧当は孫策の武将であって、山越討伐などに功があった。呂蒙が15、16になったとき鄧当に従って賊を撃ち、深入りし...
中国史

五代-李克用

李克用(り・こくよう。八五五-九〇七) 李克用、本姓は朱邪、もとは隴右金城の人である。先祖の朱邪抜野は唐太宗に随い高麗、薛延陀の討伐に功を建て、金方道副都護を授かる。太宗は北庭に都督府を置くとその地・大沙堆に因んで沙陀都督府と名付け、高宗の...
中国史

遼-耶律隆運

耶律隆運、本姓は韓、名は徳譲、西南面招討使匡嗣の子なり。統和十九年、徳昌の名を賜り、二十年、耶律の姓を賜り、二十八年、また名を賜与されて隆運。重厚にして智略有り、功を建てることを喜んだ。景宗に侍り、もって謹み戒めるを聴き、東頭承供官を加えら...
中国史

東漢-臧宮

臧宮(ぞう・きゅう) 臧宮、字は君翁。潁川郟県の人である。若いころは亭長、遊徼。のち賓客を率いて下江に入り、校尉となる。光武帝の征戦に随い、諸将は大いにその勇敢であることを称賛した。劉秀は臧宮が謹直、言葉少ないことを観察して、彼を近くに置い...